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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)3958号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 高木義明

同 鈴木隆

同 小林正憲

被告 国

右代表者法務大臣 遠藤要

右指定代理人 山崎まさよ

〈ほか一名〉

被告 東京都

右代表者知事 鈴木俊一

右指定代理人 西道隆

〈ほか三名〉

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金七九六万八四〇〇円及びこれに対する昭和五五年五月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  主文同旨

2  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事件の概要及び経過

(一) 昭和五一年四月九日から同月一一日ころまでの間に、東京都中央区築地五丁目二番一号東京築地青果株式会社(以下「訴外会社」という。)三階事務所内において、訴外曽根秀房(以下「曽根」という。)保管にかかる「果実部二課会代表曽根秀房」名義の郵便貯金通帳、「築地青果サッカー部代表曽根秀房」名義の郵便貯金通帳各一通(以下、「本件通帳」という。)及び「曽根」と刻した印鑑一個が、何者かに窃取された。

何者かが、昭和五一年四月一二日ころまでに、郵便貯金払戻金受領証(以下「受領証」という。)二通を偽造し、何者かが、同月一二日、東京都中央区築地四丁目二番二号所在の京橋郵便局及び同区築地五丁目二番一号所在の中央築地郵便局において、右偽造にかかる本件受領証と右窃取にかかる本件通帳を提出行使して、払戻名下に金員を騙取した。

(二) 警視庁築地警察署今野勲警部(以下「今野警部」という。)は、昭和五一年五月一九日、原告を被疑者とし、窃盗、有印私文書偽造、同行使、詐欺の各罪を被疑事実として東京簡易裁判所裁判官に対し逮捕状の発付を請求し、同所裁判官後藤登からその発付を受け、同年五月二一日、右警察署警察官山田公夫巡査部長及び高梨東巡査(以下山田公夫巡査部長を「山田刑事」といい、高梨東巡査を「高梨刑事」といい、両名らを「捜査官ら」という。)は、原告を逮捕、取調べ、同月二三日、東京地方検察庁検察官上原保男は東京簡易裁判所裁判官に対し勾留状の発付を請求し、同所裁判官志村実からその発付を受けて原告を勾留した。

(三) 東京地方検察庁において捜査を担当した大野恒太郎検察官(以下「大野検事」という。)は、昭和五一年六月一一日、原告を被告人として、次のような公訴事実(以下「本件犯罪」という。)について公訴を提起した。

(公訴事実)

被告人は、

第一  昭和五一年四月九日ころ、東京都中央区築地五丁目二番一号東京築地青果株式会社三階事務所内において、曽根秀房所有の同人名義郵便貯金通帳二通(貯金高七万一三四五円のもの及び八万五〇五〇円のもの)及び曽根と刻した印鑑一個(時価約五〇円相当)を窃取し

第二  同年同月一二日、同区築地四丁目二番二号京橋郵便局において、行使の目的をもって、ほしいままに、同局に備付けの郵便貯金払いもどし金受領証用紙一枚の払いもどし金額欄に「八五、〇〇〇」と記入し、住所氏名欄に「中央区築地五―二―一築地サッカー部代表曽根秀房」と冒書したうえ、その名下に前記窃取にかかる「曽根」と刻された丸印を冒捺し、もって、曽根秀房作成名義の右金額の郵便貯金払いもどし金受領証一通の偽造を遂げ同日、同郵便局において、同局事務主任内桶民子に対し右偽造にかかる郵便貯金払いもどし金受領証を真正に成立したもののように装って、前記窃取にかかる郵便貯金通帳一通と共に提出行使して貯金の払いもどしを求め、右内桶をして正当な払いもどし請求であるものと誤信させ、よって、そのころ同所において、右内桶の指示を受けた同局現金主任木村正から郵便貯金払いもどし金名下に現金八万五〇〇〇円の交付を受けてこれを騙取し

第三  同日、同区築地五丁目二番一号中央築地郵便局において、行使の目的をもって、ほしいままに、前同様の郵便貯金払いもどし金受領証用紙一枚の払いもどし金額欄に「七〇、〇〇〇」と記入し、住所氏名欄に「中央区築地五の二の一曽根秀房」と冒書したうえ、その名下に前同様の丸印を冒捺し、もって、曽根秀房作成名義の右金額の郵便貯金払いもどしを金受領証一通の偽造を遂げ、同日、同郵便局において、同局事務主任山賀信代に対し、右偽造にかかる郵便貯金払いもどし金受領証を前同様装って、前記窃取にかかる郵便貯金通帳一通と共に提出行使して貯金の払いもどしを求め、右山賀をして前同様誤信させ、よって、そのころ同所において、同人の指示を受けた同局現金主任藤川寛利から郵便貯金払いもどし金名下に現金七万円の交付を受けてこれを騙取し

たものである。

(四) 原告は、同年九月二五日、保釈許可決定により釈放された。更に、右被告事件について東京地方裁判所は、昭和五二年四月一二日、原告につき無罪の判決を言い渡し(以下、「本件刑事判決」という。)、同判決は、同月二七日、確定した。

(五) 従って、原告は、昭和五一年五月二一日から同年九月二五日までの一二八日間、身柄を拘束された。

2 原告逮捕の違法性

原告についてなされた逮捕状の請求及び原告の逮捕は、以下に述べるとおり、杜撰な捜査に基づくものであり、原告が本件犯罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由がないのになされたものであるから違法である。

(一)  犯行場所が訴外会社事務所内の机の引出しであり、他の机等は荒されていなかったことからすると、本件犯罪が内部の事情に通じた者の犯行と捜査官らが考えたことは一応合理的ではあるが、外部の者による犯行の可能性もあったのであるから、この点も捜査しておくべきであったし、会社内部の捜査については、二通の本件通帳が築地青果サッカー部(明和会)のものと果実部二課会のものであるから、内部事実を知り得る者の範囲もある程度はしぼることができ、その上で、それらの者の全てについて、出勤状況等を捜査すべきであったのに、捜査官らは、充分な捜査をすることなく、比較的早い段階から原告を被疑者としてしぼっていた。

(二)  捜査官らは、訴外会社の協力を得て、前項の捜査の対象となった会社員らが作成した伝票の各種書類の全てにつき捜査すべきところ、これを怠り、原告代理人が刑事公判廷に提出した伝票、帳簿等、例えば明和会関係の特別行事予定届などは捜査していなかった。

また、捜査官らは、原告作成に係るもの二通を含む明和会経費出金精算票(以下「出金精算票」という。)三通を偽造された本件受領証と筆跡が類似するものとして選び出し、それらを鑑定に付したが、捜査官らは、筆跡鑑定については素人であり、筆跡鑑定の専門家の協力を得てまず筆跡が類似したものを選び出すべきであった。

(三)  捜査官らは、一応金遣いの荒い者について捜査したようであるが、それは不充分であったし、原告についても逮捕する前にその素行、財産状況につき充分な捜査を行うべきところ、特段の捜査をしていない。

(四)  原告の犯行当日の行動(勤務状況)についての捜査が不充分であった。すなわち、本件刑事判決の認定どおり、中央築地郵便局で本件の払戻がなされたのは、昭和五一年四月一二日午前九時一五分ころから午前一〇時前後ころ、また、京橋郵便局で本件の払戻がなされたのが同日午前一一時ころと認められるが、その時間帯における原告及び他の社員の勤務状況についての捜査は不充分であった。すなわち、訴外会社には、種々の職種があって、右犯行時刻に職場を抜け出すことも可能な社員が存在したかもしれないが、競り人である原告は、右犯行当日が月曜日であって他の日に比べ取扱量が多く、競り売り及びその後に行なわれる販売原票の整理にも長時間を要し(本来、販売原票の整理を手伝うべき訴外有馬及び訴外志村は、犯行当日出張していて不在であった。)、そのため前記犯行時刻頃、原告が会社を抜け出して約一時間はかかる本件の払戻手続を行うことは不可能であり、そのことは、当日の販売原票などを詳細に検討し、競り人の勤務内容につき会社の上司から事情聴取をすれば、容易に判明し得た筈である。また、右犯行時刻ころ、行動が比較的自由であった社員は誰であったかといった点についても捜査すべきであった。しかるに、捜査官らは、競り人の勤務内容について捜査をしていないし、販売原票についても検討することもなく、また他の社員の当日の出社状況、原告が東京都の事務所に販売原票の副本を提出した時刻についても捜査していない。

(五)  捜査官らは、本件逮捕前の昭和五一年五月一七日ころに警視庁科学検査所文書鑑定科主事小島直樹作成の筆跡鑑定書(以下「小島鑑定書」という。)を入手していたが、右鑑定書の記載内容は簡略かつ抽象的なものであり、かつその結論も原告が記載したもの二通を含む出金精算票三通の筆跡と本件受領証二通の筆跡を同一筆跡と「推定」するというだけのものであり、かつ前記のように他の社員の筆跡については専門家による検討がなされていなかったにも拘わらず、この小島鑑定を過大評価して、原告を逮捕するに至った。

(六)  捜査官らが逮捕前に入手していた京橋郵便局の局員内桶民子(以下「内桶」という。)及び同局員木村正(以下「木村」という。)の昭和五一年四月二六日付の各供述調書、中央築地郵便局員藤川寛利(以下「藤川」という。)の同年四月二三日付供述調書によると、右三名の郵便局員は、犯人を目撃しており、ある程度の記憶があったわけだから、原告のみならず本件通帳が曽根の机の中に存在することを知り得た社員全員についても、会社その他の場所において面通しをするべきであったし、右内桶及び木村は犯人はトレーニングシャツを着ていたと供述するのであるから、犯行当日にトレーニングシャツを着用していた者の有無などについても捜査しておくべきであった。捜査官らは、右局員らの協力を得て、原告についてのいわゆる面通し捜査及び訴外乙山春夫についての訴外会社保管の履歴書の古い写真によるいわゆる面割り捜査を行っているがこれだけでは不充分であるし、着衣に関連する事項については捜査は行われていない。

3 勾留の違法性

検察官上原保男が原告についてなした勾留状の請求及びその執行は、2項記載のとおり薄弱な嫌疑に基づくものであり、原告が本件犯罪を犯したと疑うに足りる相当の理由がないのになされたものであるから違法である。

4 公訴提起の違法性

検察官が公訴を提起するためには、現に収集し又は収集し得る証拠を総合して有罪判決を期待し得る合理的な可能性がなければならないのに、大野検事は、次に述べるとおり、証拠上合理的な疑いを差し挟む余地が存在したにも拘わらず、起訴に踏み切ったものであり、右公訴提起は違法であり、かつ大野検事には過失がある。

(一)  自白の証拠評価の誤り(自白の裏付捜査の欠如)

原告は、昭和五一年六月七日、大野検事に対して本件犯罪につき全面的に自白をしたのであるが、この自白には次のような矛盾、不自然さが存するにも拘わらず、充分に信用できるものと安易に考えて、それについての充分な裏付捜査をすることなく起訴に踏み切ったのであるから、本件公訴提起は違法であり、大野検事には過失がある。

イ  原告の自白では、原告の席から被害者曽根が自分の席で本件通帳を持っているのが見えたことになっているが、現実には、柱や衝立などの障害物があるため原告の席から曽根の座席は見通せない位置関係にある(通常の事件では実況見分調書の作成が行われているのに、本件ではこれが行われていなかったため右の矛盾を発見することができなかったのであり、通常なすべき裏付捜査を怠ったものというべきである。)。

ロ  原告の自白によれば、「現場でほうれん草が見えなくなったので、これを捜す振りをして郵便局へ行くため表に出た」というのであるが、当日ほうれん草は入荷しておらず、また原告がこれを販売したこともなかったのである(この点は、原告の上司である木下政夫(以下、「木下」という。)などからの事情聴取及び当日の販売原票の調査などの裏付捜査をすれば容易に判明し得た筈であるのに、これらの裏付捜査を怠ったものである。)。

ハ  原告の自白では、「曽根の机の引出しから本件通帳等を盗み出した際、事務所内にはまばらだが人がおり、いずれも蔬菜部の上役の人たちで、曽根の席の方には背を向けていた。」というのであるが、事務所内に人がいなくなる機会を待たずに敢えて盗みを行うということは、不合理である。

ニ  原告の自白では「騙取した金員は、友人たちからの借金の返済に当てるつもりであった」と供述しながら、騙取した金員を全然借金の返済に当てることなく「全て生活費や遊びの金に消費してしまった。キャバレーやトルコに一人で何度も出かけパチンコにも毎日通いつめた」と供述していることは、不自然である(この点についての裏付捜査を怠ったものである。)。

ホ  原告の自白では、「原告は四月一二日当日午前九時半過ぎころ会社を出て京橋郵便局に赴き、ここで払戻を受けた後、中央築地郵便局に寄った」というのであるが、京橋郵便局員内桶、同木村の司法警察員(郵政監察員)に対する各供述調書によれば、京橋郵便局において本件払戻がなされたのは同日午前一一時ころと推定され、中央築地郵便局員山賀信代、同藤川の司法警察員(郵政監察官)に対する各供述調書などによれば、中央築地郵便局において本件払戻がなされたのは、午前九時一五分ころから午前一〇時前後ころまでの間であると推定されるから、原告の自白の前記供述部分は、右事実と矛盾する。

ヘ  原告は、会社のマークと自己の名前が胸に入った作業服を着て前記各郵便局へ行ったと自白しているのであるが、まず原告が「甲野」の名前の入っている会社のマーク入りの作業衣を着て「曽根」名義の通帳、印鑑を使って貯金の払戻をするということは、局員に名義人と同一人物でないことを容易に察知され、また自己の名前をわかってしまうといった危険性も高いことを考えれば、右供述は不自然である。一方、京橋郵便局員らは、犯人はトレーニングシャツを着ていたと右原告の自白とくい違う供述をしていたのである(それにも拘わらず着衣についての裏付捜査はなされていなかった。)。

(二)  原告は、捜査段階において、本件受領証二通の字は自分が書いたものであると供述していたが、大野検事は、右供述を過大に評価したものである。すなわち、原告は右供述をする一方で、どこで書いたかわからないとか、人に頼まれて書いた等と供述して犯行を否認していたのであるが、右供述は、矛盾を含むあいまいなものであるから、証拠としては不充分なものである。

(三)  本件において、原告と本件犯罪とを確実に結びつけ得る客観的な証拠としては、原告作成のもの二通を含む出金精算票三通と受領証二通の筆跡が同一人のものと「推定する。」という結論の小島鑑定書しか存在しなかったが、大野検事はこの鑑定書の証拠価値を過大に評価して原告を起訴したものといわざるを得ない。すなわち、小島鑑定書は、その内容において抽象的であり、どの字画のどの点がどのように類似しているかという具体的な鑑定の経過については何ら記載されていなかったのであるから右鑑定書は証拠価値の乏しいものというべきである。

(四)  また、検察官は、刑事公判において「本件払戻は、京橋郵便局から中央築地郵便局の順序で、午前一〇時ころから午前一一時ころまでに実行された。」と主張したのであるが、かかる主張をする以上、公訴提起前に右時刻ころの原告の勤務状況などを捜査し、原告が右時刻ころ職場を抜け出すことができる状態であったかどうか検討すべきであったのに、これを怠ったのである。

すなわち、販売原票を調査し、上司である木下政夫から事情聴取をしていたなら、本件犯行当日(昭和五一年四月一二日)は、商品取扱量が通常よりも多く、競り売りにも販売原票の整理にも時間がかかったこと、本来であれば原告の仕事を手伝うべき訴外有馬及び訴外志村が当日出張していたため右原告の作業は長時間を要したこと、また競り人は、販売原票を整理した後、その副本を東京都事務所へ提出する義務があり、しかもその提出受付締切時刻が午前一一時と定められていること等が判明し得たし、従って原告が当日職場から離脱することは困難であったことを把握し得た筈であったが、大野検事はかかる捜査を行うことなく、原告を起訴するに至ったのであるから、この点においても本件公訴提起は違法であって、大野検事には過失があったというべきである。

5 被告らの責任のまとめ

被告東京都は、警視庁を設置し、これを管理運営している地方公共団体であり、警視庁築地警察署警察官らは、被告東京都の公権力の行使に当たる公務員であって、同人らによる前記の逮捕状の請求及びその執行は、その職務を行うにつき過失によってなされた違法な行為である。

被告国は、東京地方検察庁を設置し、これを管理運営しており、同庁検察官らは、国の公権力の行使に当たる公務員であって、同人らによる前記の勾留請求、勾留状の執行、公訴の提起は、その職務を行うにつき過失によってなされた違法な行為である。

右警察官らと右検察官らは、本件の捜査を共同で実行し、その結果、勾留や公訴の提起がなされたものであるから、被告らは、国家賠償法第一条第一項に基づき、原告に生じた後記損害の全部について、連帯して賠償する義務がある。

6 損害

原告は、前記の違法な逮捕、勾留、公訴提起により、次のような損害を被った。

(一)  刑事事件において弁護士高木義明に対して弁護を依頼し、その報酬として合計金六五万円を支払った。

(二)  原告は、前記のとおり一二八日間の身柄拘束を受け、さらに被告人の地位に立たせられる等種々の精神的苦痛を被った。その慰藉料は少なくとも金四〇〇万円が相当である。

(三)  原告は、前記の逮捕、勾留、公訴提起により、当時勤務していた訴外会社からの退職を余儀なくされ、そのために少なくとも金二五〇万円の財産的損害を被った。

(四)  原告は、本訴の提起・追行を原告訴訟代理人らに委任し、その報酬として金一二二万八〇〇〇円の支払を約した。

(五)  損害の填補

原告は、昭和五二年一一月二五日、東京地方裁判所より合計金四〇万九六〇〇円の刑事補償金の交付決定を受け、昭和五三年一月一〇日これを受領した。

(六)  まとめ

以上(一)ないし(四)の合計額から(五)の金額を控除すると損害額は合計金七九六万八四〇〇円となる。

7 よって、原告は、被告らに対し、国家賠償法第一条第一項に基づき、右損害金七九六万八四〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五五年五月九日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 請求の原因に対する答弁

(被告東京都)

1 請求の原因1の事実は認める。

2 同2冒頭の主張は争う。

(一)  同2(一)の事実中、犯行場所が訴外会社事務所内の曽根の机の引出しであり他の机等は荒されていなかったこと、二通の本件通帳が築地青果サッカー部(明和会)のものと果実部第二課会のものであったことは認め、その余の事実は否認し、主張の趣旨は争う。

(二)  同2の(二)の事実中、捜査官らが出金精算票三通を、偽造にかかる受領証二通と筆跡が類似するものとして選び出して鑑定に付したことは認め、その余の事実は否認し、主張の趣旨は争う。

(三)  同2の(三)の事実中、捜査官らが一応金遣いの荒い者について捜査したことは認め、その余の事実は否認し、主張の趣旨は争う。

(四)  同2の(四)の事実中、本件刑事判決が犯行時刻につき原告の主張に副うような認定をしたこと、犯行当日が月曜日であって他の日に比べて取扱量が多かったこと、訴外有馬、同志村が犯行当日出張していたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張の趣旨は争う。

(五)  同2の(五)の事実中、小島鑑定書の結論が出金精算票三通と受領証二通の筆跡は同一のものと推定するというものであったことは認め、主張の趣旨は争う。

(六)  同2の(六)の事実中、三名の郵便局員が犯人を目撃していたこと、内桶及び木村が犯人はトレーニングシャツ様のものを着用していたと供述していたこと、捜査官らが原告についてのいわゆる面通し捜査及び訴外乙山春夫についての履歴書の古い写真によるいわゆる面割り捜査をしたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張の趣旨は争う。

3 同5の事実中、被告東京都が警視庁を設置し、これを管理運営している地方公共団体であり、警視庁築地警察署の警察官らは、被告東京都の公権力の行使に当たる公務員であることは認めるが、その余の主張は争う。

(被告国)

1 請求の原因1の事実は認める。

2 請求の原因3の主張は争う。請求の原因3において引用する請求の原因2の事実に対する認否は、被告東京都の認否を援用する。

3 請求原因4の冒頭の主張は争う。

(一)  同4の(一)の冒頭の主張は争う。

同4の(一)イの事実は認めるが、主張の趣旨は争う。

同4の(一)ロの事実中、原告の供述内容は認めるが、その余の事実は不知であり、主張の趣旨は争う。

同4の(一)ハの事実中、原告の供述内容は認めるが、主張の趣旨は争う。

同4の(一)ニの事実中、原告の供述内容は認めるが、主張の趣旨は争う。

同4の(一)ホの事実中、原告の供述内容は認めるが、主張の趣旨は争う。

同4の(一)ヘの事実中、原告及び郵便局員らの供述内容は認めるが、主張の趣旨は争う。

(二)  同4の(二)の事実中、原告の供述内容は認めるが、主張の趣旨は争う。

(三)  同4(三)の事実中、原告と本件犯罪を結びつけ得る客観的証拠としては小島鑑定書しか存在しなかったとの事実は否認し、主張の趣旨は争う。

(四)  同4(四)の事実中、検察官が刑事公判において同項記載の主張をしたことは認めるが、主張の趣旨は争う。

4 同5の事実中、被告国が東京地方検察庁を設置し、これを管理運営しており、同庁検察官らは、国の公権力の行使に当たる公務員であることは認めるが、その余の主張は争う。

(被告両名)

請求の原因6(一)ないし(三)の事実は不知

同6(四)の事実中、原告が本訴の提起、追行を原告訴訟代理人に委任したことは認め、その余は不知

同6(五)の事実は認める。

三 被告東京都の主張

原告を窃盗、有印私文書偽造、同行使、詐欺事件の被疑者として逮捕するに至った経緯は次のとおりであり、逮捕状の請求時において、原告が本件犯罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由があったのであるから、警視庁築地警察署警察官による逮捕状の請求及び逮捕状の執行は適法である。

1 捜査の端緒

警視庁築地警察署刑事課巡査訴外亀鶴重敏は、昭和五一年四月二〇日、曽根から訴外会社三階事務所において、曽根名義の郵便貯金通帳二通(貯金残高八万五〇五〇円のもの及び七万一三〇〇円のもの)、及び「曽根」と刻した印鑑一個が盗まれたとの盗難被害の届出を受けた。

2 捜査の経過

右盗難被害の届出により、築地警察署においては山田刑事、高梨刑事らが上司の命を受け本件捜査を行うこととなった。

(一)  まず、本件通帳の発行先である京橋郵便局及び中央築地郵便局について捜査したところ、すでに、同月一二日、京橋郵便局で八万五〇〇〇円、中央築地郵便局で七万円が払戻されていることが判明したため、右各局において本件郵便貯金払戻事務を担当した者について、払戻の状況及び払戻に来た者等について捜査するとともに、関東郵政監察局東京中央支局監察官に対して、捜査の協力を要請した。

(二)  また、本件窃盗事件の被害場所について実況見分したところ、現場は訴外会社三階事務所の中であり、同社において曽根の他に盗難被害にかかった者がおらず、また、物色した痕跡もなかったこと等から内部事情を知った者の犯行と推定されたので、同社の協力を得て社員について聞込捜査を実施するとともに、受領証二通の筆跡について捜査し、訴外会社の社員の履歴書、通勤証明交付願書、抹養控除申告書、保険料控除申請書、出金精算票などを精査した。すると、同社サッカー部の出金精算票三通に記載されていた「曽根秀房」という署名の筆跡が受領証の筆跡と一見して似ていることが判明したので、右受領証二通と出金精算票三通を鑑定資料として警視庁科学検査所長に対し右両資料の筆跡の異同について鑑定嘱託をした。更に、右出金精算票を同社サッカー部の代表者である曽根に確認させたところ、同出金精算票は、同社サッカー部の部員である原告の書いたものであること等が判明したので、原告の身辺捜査等を実施した。

3 捜査の結果

右捜査の結果から以下の事実が明らかとなった。

(一)  本件窃盗事件は内部の事情を知った者の犯行と推定されたこと。

(二)  原告は曽根の机の中に本件通帳及び本件印鑑が保管されていることを知っていたこと。

(三)  原告は、金銭的に困っていたとの聞込みがあったこと。

(四)  曽根から受領証の筆跡が原告の筆跡に非常によく似ている旨の供述を得たこと。

(五)  曽根から出金精算票(受領証の筆跡に似ている。)は原告が書いたものであるとの供述を得たこと及び原告の上司である訴外木下政夫から出金精算票の筆跡は原告の筆跡によく似ており、他に似た字を書く者はいない旨の供述を得たこと。

(六)  警視庁科学検査所長から「資料1(受領証二通)と資料2(出金精算票三通)の筆跡は同一筆跡と推定する。」との鑑定結果を得たこと。

(七)  京橋郵便局員内桶、同木村及び中央築地郵便局員藤川らに原告の写真面割りをしたところ、いずれも本件郵便貯金の払戻しをした男に似ているとの供述を得たこと。

4 原告に対する令状請求

そこで、今野警部は、同年五月一九日、右捜査結果から原告が本件通帳及び本件印鑑を窃取し、受領証用紙及び本件印鑑を利用して曽根作成名義の受領証二通を偽造し、本件通帳とともに京橋郵便局及び中央築地郵便局に提出行使して、京橋郵便局員から八万五〇〇〇円及び中央築地郵便局員から七万円の金員を騙取したものと認めるに足りる相当な理由があると判断し、東京簡易裁判所裁判官に対し、逮捕の理由及び逮捕の必要性があることを認めるべき資料を添付して原告に対する逮捕状を請求し、同日、同所裁判官後藤登から右令状の発付を得た。

5 原告の逮捕とその前後における供述

(一)  山田巡査部長は、同年五月二一日、原告に任意同行を求め、築地警察署において取調べたところ、原告は本件窃盗事件及び郵便貯金の払戻については記憶がはっきりしない旨あいまいな供述をしたが、訴外会社サッカー部(明和会)の出金精算票綴を見せたところ、原告はその中から、前記鑑定資料に使用した三通の出金精算票を選び出し、同出金精算票は同人が書いたものに間違いないと供述し、更に、受領証についても、原告が書いた筆跡に間違いないと供述した。

また、京橋郵便局員内桶、同木村及び中央築地郵便局員藤川にいわゆる面通しをさせたところ、いずれも郵便貯金を払戻にきた男に似ていると供述した。

そこで、山田刑事らは、同日午後三時二五分、原告を窃盗、有印私文書偽造、同行使、詐欺被疑事件の被疑者として通常逮捕した。

(二)  そして、原告逮捕後、山田刑事が原告に対して、直ちに弁解の機会を与え、弁解録取書を作成し、翌二二日、今野警部が原告を取調べたところ、原告は「曽根君の机の中から貯金通帳二冊と曽根君の印鑑一個を盗んだのはよく記憶ありません。ただ、盗んだような盗まないような記憶だけで……はっきりしないのです。」と供述し、また、受領証二通は「間違いなく、私がボールペンで書いたもので、一枚は払戻金額欄に¥八五、〇〇〇、氏名欄に中央区築地五―二―一築地サッカー部代表曽根秀房、もう一枚の方はやはりボールペンで払戻金額欄に¥七〇、〇〇〇、氏名欄に中央区築地五―二―一曽根秀房と書いた記憶はあります。」「筆跡からみても、又、私の記憶からみても、私がこの払戻金受領証を作成したことは間違いありませんが、どこで作成したのか、その点は記憶がありません。」と供述した。

五 被告国の主張

1  本件公訴の提起については、次に述べるとおり、公訴提起時における各種の検察官手持証拠資料を総合勘案すると、有罪判決を期待しうる合理的可能性があったものであるから、適法なものであった。

(一)  被害者である曽根が、昭和五一年四月八日ころから同月一二日までの間に、同人の保管していた「果実部二課会代表曽根秀房」名義の本件通帳、「築地青果サッカー部代表曽根秀房」名義の本件通帳及び「曽根」と刻した郵便局届出印鑑一個を何人かによって窃取されたこと、曽根以外の机などが荒されていなかったこと及び何人かが昭和五一年四月一二日ころまでに、郵便貯金払戻金受領証用紙及び右窃取に係る「曽根」と刻した印鑑を利用して、曽根作成名義の受領証二通を偽造し、何人かが同月一二日京橋郵便局及び中央築地郵便局において、右偽造に係る受領証を、窃取に係る本件通帳とともに提出行使して郵便貯金払戻金名下に金員を騙取したことは被害届などにより明らかである。

(二)  原告は、逮捕当初から起訴に至るまで、司法警察員、検察官、裁判官のいずれに対しても、偽造に係る受領証二通の字が自らの筆跡であること及び京橋郵便局における受領証の氏名欄の「代表」という字を書いた記憶はある旨を終始一貫して供述していた。

すなわち、

イ  原告は、昭和五一年五月二一日司法警察員により通常逮捕された時点から、窃盗、詐欺の容疑は否認していたものの、受領証が自己の筆跡であることを認めていた(同日付司法警察員作成の通常逮捕手続書、原告の同日付司法警察員に対する弁解録取書。)

ロ  翌五月二二日、原告は、司法警察員に対し、「間違いなく、私がボールペンで書いたもので、一枚は払戻金額欄に¥八五、〇〇〇、氏名欄に中央区築地五―二―一築地サッカー部代表曽根秀房、もう一枚の方はやはりボールペンで払戻金額欄に¥七〇、〇〇〇、氏名欄に中央区築地五―二―一曽根秀房と書いた記憶があります。」「筆跡から見ても、また私の記憶からみても、私がこの払戻金受領証を作成したことは間違いがありませんが、何処で作成したのかその点は記憶にありません。」と供述していた(同日付供述調書)。

ハ  翌五月二三日、検察庁に送致された時点でも、原告は検察官の弁解録取に際し、「払戻用紙に会社の人から頼まれて築地サッカー部代表曽根秀房と書いたことはありますが、その外のことは全く覚えがありません。頼んだ人は覚えていません。」と供述していた(同日付供述調書)。

ニ  翌五月二四日、東京簡易裁判所裁判官の勾留質問において、原告は「人に頼まれて払戻用紙に記入したことは事実ですが、窃盗も詐欺もやっておりません。私に頼んだ人間の名前は判りません。」と供述していた(同日付勾留質問調書)。

ホ  勾留後も、原告は、司法警察員の取調べに対し、受領証に曽根秀房と書いた記憶があり、特にサッカー部代表と書いた記憶はよくある旨供述していた(昭和五一年五月二八日付供述調書)。

ヘ  また、起訴検察官である大野検事の取調べに対し、原告は、同年五月三一日、犯行自体は否認しつつも、「お示しの受領証に書き込まれている住所・氏名は間違いなく私の筆跡です。特に符第三号の氏名欄にある築地サッカー部代表の「代表」という字を書いた記憶ははっきりしています。ただ、これを書いたのは、築地青果事務所の私の机の上だったような気がします。」と供述し(同日付供述調書)、次いで、同年六月七日には、受領証の作成のみならず、本件一連の犯行をすべて詳細に自供し(同日付供述調書)、その後、同月一〇日には再度否認に転じたものの、その上でなおかつ受領証に「書き込まれている住所氏名は間違いなく私の筆跡です。特に符第三号の氏名欄の『築地サッカー部代表』の『代表』という字を書いた記憶ははっきりしています。書いた場所がどこであったかは、今となってはわかりません。」(同日付供述調書)と供述していた。

(三)  曽根は、原告が昭和四九年ころから訴外会社サッカー部(明和会)の幹事として同サッカー部の会計担当者である曽根の名で出金精算票を作成しており、押収に係る出金精算票三通の「曽根秀房」の字は原告の字であること、郵便貯金払戻金受領証二通の「曽根秀房」の字は原告の筆跡に似ていることなどを供述した(曽根の昭和五一年五月一三日付司法警察員に対する供述調書)。

(四)  押収に係る出金精算票三通は、原告自身が自分が書いたものであると一貫して認めていたのであるが、右出金精算票三通と受領証二通の筆跡の異同については、警視庁科学検査所文書鑑定科主事小島直樹において鑑定し、配字形態、筆勢、筆圧、書字能力の程度における類似した傾向、共通文字の字画形態、構成の類似した特徴を指摘し、同一筆跡と推定するとの鑑定結果が出されていたものである(右小島作成の昭和五一年五月一七日付鑑定書。)。

(五)  京橋郵便局員内桶及び同木村の供述によれば、払戻請求者(犯人)が、最初右内桶に対し、氏名欄を「曽根秀房」とのみ記載した受領証を本件通帳とともに提出したところ、内桶が同通帳の貯金者名が「築地青果サッカー部代表曽根秀房」であるため、右請求者に対して「肩書きが不備ですから書き入れて下さい。」と要求し、右請求者がその場で「築地サッカー部代表」の記載を書き加えて再度提出したこと、内桶から受領証及び本件通帳を手交された同郵便局員木村は、右肩書がなお不備であるため「築地」と「サッカー部」の間に「青果」と自ら加筆した上、右請求者に請求額の八万五〇〇〇円を交付したことが認められた(昭和五一年四月二六日付郵政監察官に対する内桶、木村の各供述調書)。

(六)  京橋郵便局員内桶、同木村、中央築地郵便局員藤川は、昭和五一年五月二一日、原告に対するいわゆる面通しを行ったが、その際三名一致して原告が貯金の払戻にきた者に「似ている」旨供述した。

2 ところで、本件刑事判決は、捜査時における1の(四)項記載の筆跡鑑定について、これをもってしては、原告の筆跡であると認めるにつき合理的な疑いを入れない程度に立証するに至っていないとの理由により有罪判決の証拠となし得ないとしているが、この種の鑑定等がそれぞれそれ自体だけで合理的疑いを超える程度に断定的でなければ有罪認定の資料となし得ないものでないことはいうまでもないところであり、それ自体は相当程度の蓋然性を示すに止まるものであっても、他の証拠と相まって有罪認定の有力な資料となり得ることは当然であり、前記1の(二)記載のとおり、原告は、起訴に至るまで本件各犯行を否認する一方で、一貫して偽造に係る受領証二通の字が自らの筆跡であること及び右受領証の氏名欄の「代表」という字を書いた記憶はある旨供述していたこと等を考えあわせると、有罪認定の有力な資料と判断する方がむしろ自然であり、少なくともそのように判断することは、自由心証の範囲内の合理的な判断であるというべきである。

従って、検察官において、この点の証拠の評価に誤りがあったとはいえないし、少なくとも仮に証拠の評価に誤りがあるとしても過失があったとはいえない。

3 原告の検察官に対する全面自白の証拠評価について

本件については、前述のとおり、原告は大野検事に対し、いったんは事実を全面的に自白しており、しかもその自白は、本件刑事判決も肯認するように任意性に疑いがなく、かつ少なくとも起訴時においては十分信用性のあるものと評価されるべきものであった。

(一)  すなわち、右自白は、自白調書の「いつまでも嘘を言い通すことができないことがよくわかり、おととい面会にきた朱蘭会の吹田や扇に本当のことをいうように説得された。」との供述や、取調べ中の大野検事と原告との間で両者の好きな登山の話に花が咲き、その後に大野検事が原告に対し「登山をやる人に心の悪い人はいないと思っているのですべて正直に話してくれ。何もかも正直に話して事件の責任をとり、きれいさっぱりして山に登ったらどうか。」などと説得したところ、これをきっかけとして自白が始まったこと(刑事公判廷における大野恒太郎証言)などの自白に至る経緯に照らせば、任意性は勿論、原告が否認を押し通せないことを悟り、犯行を悔いて自白したものと認められ、十分な信用性を有するものであった。

(二)  また、右自白は、事件当時の金銭の困窮の程度、本件通帳等を窃取した状況、郵便局に行くため職場を抜け出した状況、郵便局において払戻を受けた状況、騙取した金員の使途、窃取に係る本件通帳、印鑑の処分など事件の全ぼうにわたって具体的かつ詳細に供述しており、その供述中、原告が本件当時友人や金融業者から借金するなどして金銭に窮していた状況は、廣瀬辰男の昭和五一年六月三日付及び甲野松子の同日付各司法警察員に対する供述調書によって裏付けられており、本件通帳が曽根の机の引き出しの奥の方に、印鑑が引き出しの手前の受け皿に入っていたとの事実は、曽根の供述(昭和五一年四月八日付司法警察員に対する供述調書)とも合致し、検察官は右自白を得るのに何らの誘導をも行っていないこと(前記大野恒太郎証言)からして、右自白はその供述内容からも十分信用し得るものであった。

第三証拠《省略》

理由

一  原告に対する逮捕状の請求及びその執行に至る経過について

請求の原因1の事実、同2の(一)の事実中、犯行場所が訴外会社三階事務所内の曽根の机の引出しであり他の机等は荒されていなかったこと、二通の本件通帳が築地青果サッカー部(明和会)のものと果実部第二課会のものであったこと、同2の(二)の事実中捜査官らが出金精算票三通を偽造にかかる受領証二通と筆跡が類似するものとして選び出して鑑定に付したこと、同2の(三)の事実中、捜査官らが一応金遣いの荒い者について捜査したところ、同2の(四)の事実中、本件刑事判決が犯行時刻について原告の主張に副うような認定をしたこと、犯行当日が月曜日であって他の日に比べて原告の取扱量が多かった上、訴外有馬同志村が犯行当日出張していたこと、同2の(五)の事実中、小島鑑定書の結論が出金精算票三通と受領証二通の筆跡は同一のものと推定するというものであったこと、同2の(六)の事実中、三名の郵便局員が犯人を目撃していたこと、内桶及び木村が犯人はトレーニングシャツ様のものを着用していたと供述していたこと、捜査官らが原告についてのいわゆる面通し捜査及び訴外乙山春夫についての履歴書の古い写真によるいわゆる面割り捜査を行ったこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

以上の事実に《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足る証拠はない。

1  昭和五一年四月九日ないし一一日ころの間に、東京都中央区築地五丁目二番一号所在の訴外会社三階事務所において、曽根が保管する本件通帳二通及び「曽根」と刻した印鑑一個が何者かに窃取された(曽根が最後に本件通帳を見たのは同年四月八日の午後であった)。そして、何者かが、同年四月一二日ころまでに受領証二通を偽造し、何者かが、同月一二日、京橋郵便局及び中央築地郵便局において、右偽造にかかる受領証と右窃取に係る本件通帳を右郵便局員らに提出行使して、払戻名下に金員を騙取した。しかして、現在に至るも、右の窃取した者、偽造した者及び詐取した者が誰であるか、また、右各行為者が同一人であるか否かは不明である。

曽根は、同年四月一七日午後一時ころになって右窃取の被害に気付き、同月二〇日、築地警察署に盗難被害の届出をした。右被害届により、築地警察署においては、主として山田刑事と高梨刑事が捜査を担当することになった。

2  本件窃盗現場等の捜査

捜査官らは、直ちに被害現場に赴き、実況見分、聞き込みなどの捜査を行った。その結果、訴外会社三階事務所において曽根の他には盗難被害にかかった者がおらず、また、右事務所には、五〇ないし六〇の机があるが曽根以外の者の机については物色されていないこと等から、山田刑事らは、内部の者あるいは内部の事情をよく知っている者の犯行であるとの疑いを強く持った。そこで、山田刑事らは、訴外会社の幹部に協力を依頼して、社員の中で金遣いの荒い者や素行不良者がいるかどうかの聞き込みを行ったところ、何人かの名前がでてきたが、本件犯行と直ちに結びつくような事情は発見できなかった。

3  郵便局関係の捜査

捜査官らは、中央築地郵便局及び京橋郵便局における本件通帳による払戻状況について捜査すべく、関東郵政監察局東京中央支局監察官に受領証二通の引渡や払戻を担当した郵便局員らからの事情聴取等の捜査協力を要請するとともに、自らも郵便局員らから事情を聴取した。

(一)  京橋郵便局関係

京橋郵便局の当日の事務主任である内桶及び現金主任である木村の供述によって、同郵便局において払戻がなされたのは本件通帳二通のうち「築地青果サッカー部代表曽根秀房」名義のものであること、本件払戻の時刻については、当日の取扱件数一六四件中二一番目の払戻であり、平素の取扱状況からすると、四月一二日午前一一時ころと推定されるが、必ずしも確証はないこと、はじめ払戻請求者から窓口に提出された受領証の氏名欄には、「曽根秀房」とのみ記載されていて(この記載が同郵便局内でなされたかどうかは不明である。)、「築地青果サッカー部代表」の肩書が洩れていたため、事務主任の内桶が払戻請求者に対して右肩書を書き加えるよう指示したこと、そこで払戻請求者は「築地サッカー部代表」と書き込んだが、「青果」がもれていたので現金主任の木村が「青果」を書き足したこと等の事実が判明した。

また、払戻請求者(犯人)の人相等について、内桶は、年令二五、六才、身長およそ一メートル七〇センチメートルくらいの男で、一見細身で眼鏡をかけておらず、紺色のトレーニングシャツのようなものを着用していたと供述し、木村は、二四、五才の男で、顔は細面であさ黒く、髪はボサボサで分けておらず、眼鏡はかけておらず、肩と胴の色ちがいのトレーニングシャツを着用していたと供述した。

(二)  中央築地郵便局関係

中央築地郵便局の当日の事務主任である山賀信代(以下「山賀」という。)と現金主任であった藤川の供述によって、同郵便局において払戻がなされたのは本件通帳二通のうち「果実部二課会代表曽根秀房」名義のものであること、払戻の時刻については、当日の取扱件数七一件中六番目の払戻であり、平素の取扱状況からすると、四月一二日午前一〇時ころと推定されるが確証はないこと、払戻請求者(犯人)は、受領証の氏名欄に「曽根秀房」とのみ記載し(この記載が同郵便局内でなされたかどうかは不明である。)、「果実部二課会代表」を記載しなかったが、右二名の郵便局員はこれを看過し、そのまま払戻に応じたこと等の事実が判明した。

また、払戻請求者(犯人)の人相等については、山賀は記憶がなく、藤川は二四、五才の身長一メートル六〇センチメートルから六五センチメートルくらいの男で、顔は丸型、髪は普通刈であって、眼鏡はかけていなかったと供述したが、服装については記憶がなかった。

(三)  また、捜査官らは、訴外会社から、社員の写真五、六〇枚を借り受け、右郵便局員らに見せたが、それぞれの写真が小さく、かつ入社当時のもので古いこともあって、払戻請求者(犯人)を割り出すことはできなかった。

4  受領証の筆跡関係の捜査

(一)  捜査官らは、受領証の記載中、少くとも京橋郵便局分の氏名欄の「築地サッカー部代表」と記載した者が本件各犯行の被疑者である可能性が高いと判断し、受領証の筆跡について捜査することにした。そこで、山田刑事及び高梨刑事は、昭和五一年五月一二日午前、訴外会社に赴き、同社保管の社員の履歴書、通勤証明交付願書などの書類の提出を受け、右書類の中から受領証の筆跡と似た筆跡のものを捜したが発見できなかった。捜査官らは、更に同社保管の築地青果サッカー部明和会の出金精算票綴り五、六〇通の提出を受け、精査したところ、山田刑事及び高梨刑事の判断では、受領証二通の「曽根秀房」という字と一見して酷似している「曽根秀房」と署名のある出金精算票三通を発見した。しかし、明和会特別行事予定届等は捜査しなかった。

(二)  そこで、捜査官らは、昭和五一年五月一三日、右出金精算票三通を被害者である曽根に見せ、右出金精算票三通に書かれた「曽根秀房」の筆跡について事情を聴取したところ、曽根は、この字は同人の筆跡ではなく、原告が書いたものであること、原告は昭和五〇年ころから築地青果サッカー部(明和会)の幹事をしており、会計担当の曽根はそれ以前の昭和四九年ころから訴外会社に対し同部の経費を請求する際曽根名義でなすことを原告に委せており、右出金精算票三通はその際に作成されたものであること、更に受領証二通の字も原告の字に似ていること等を供述した。

(三)  捜査官らは、同年五月一三日、受領証二通の筆跡と出金精算票三通の筆跡の異同について、専門家の判断を仰ぐべく、警視庁科学検査所長に対し、鑑定を嘱託した。そして、同年五月一七日、警視庁科学検査所長から受領証二通と出金精算票三通の筆跡は同一筆跡と推定するとの鑑定結果を内容とする小島鑑定書の送付を受けた。

(四)  捜査官らは、他方で、出金精算票三通の筆跡について裏付捜査をすべく、訴外会社疏菜第一部一課次長の木下から事情聴取をしたところ、同人は、出金精算票三通の筆跡は、「根」の字や「房」の字のはね具合などの点で原告の筆跡と似ており、他にこれに似た字を書く者はいない旨の供述をした。しかし、右木下は、果実部二課の社員についてはその各人の筆跡をよく知らなかったし、更に捜査官らは、本件通帳二通のうち「果実部二課会代表曽根秀房」名義のものを曽根個人のものと誤認していたため、果実部二課の関係者については特に捜査をしなかった。

5  更に捜査官らは、右木下から、原告の勤務状況、特に本件払戻がなされた四月一二日午前中の行動について事情を聴取したが、原告が競り人であること、当日の入荷量が多かったこと、当日原告と同じ作業担当者のうち二名の出張者がいたこと、当日の原告の行動は判らないこと等の供述があったに止まり、特に捜査の資料となるような供述は得られなかった。また、山田刑事は、築地警察署において従前から捜査担当地区に築地市場を抱えていたため、競り人が競り終了後市場内の食堂で食事をしていたり、市場外に出ていくのを現認した経験もあり、且つ市場内の中央築地郵便局への所要時間は徒歩で片道約五分であり、京橋郵便局への所要時間は徒歩で片道約一〇分であることも判っていたので、原告が当日蔬菜販売現場を抜け出して前記の各郵便局に行くことは時間的にも可能であると判断した。

6  そして、昭和五一年五月一九日、今野警部は、東京簡易裁判所裁判官に対し、疎明資料として、被害届三通(曽根、中央築地郵便局及び京橋郵便局のもの)、受領証二通、出金精算票三通、郵政監察官作成の供述調書五通(中央築地郵便局員藤川、同山賀、京橋郵便局員内桶、同木村及び曽根の各供述調書)、警察官作成の曽根及び木下の供述調書各一通、並びに小島鑑定書を添付して、原告に対する逮捕状を請求し、同日、同所裁判官後藤登から逮捕状の発付を得た。今野警部は、山田刑事に対し、原告を逮捕する前に、築地警察署に任意同行を求めて事情を聴取し、さらに前記郵便局員らによるいわゆる面通しを実施した上で逮捕状を執行するように指示した。

7  捜査官らは、昭和五一年五月二一日午前、訴外会社に赴き、原告に対し築地警察署への任意同行を求め、原告はこれに応じて同署に出頭した。なお、原告は、この数日前には、上司の木下から「受領証を警察で見せてもらったがお前の字に似ているがどうなのか」と聞かれ、自分が犯人ではないかと疑われていることを知っていた。そして、捜査官らが原告から事情を聴取したところ、原告は、被疑事実について明確に犯行を否定せずに記憶がないという否認の仕方をした。

そこで、山田刑事らは、原告に対し訴外会社から借り受けていた築地青果サッカー部(明和会)の出金精算票五、六〇通の綴の中に前記の鑑定資料に使用した出金精算票三通を混ぜあわせ、その中から原告の書いた精算票を選び出させたところ、原告は右三通のうち、昭和四九年二月二日付と同年二月一五日付の二通を選び出したが、昭和四九年一月二八日付の出金精算票は選び出さなかった。そして、原告は山田刑事らの追及に対し右昭和四九年二月二日付及び二月一五日付の出金精算票は自分の書いたものに間違いないが、昭和四九年一月二八日付の出金精算票については記憶がないと供述した。

更に、山田刑事は、受領証二通を示して、筆跡に心当りがないかどうかを聞いてみたところ、原告は、はじめは自分の書いたものとは認めてはいなかったものの、山田刑事に右出金精算票三通の筆跡と受領証二通の筆跡を同一のものとする鑑定結果が出ていると告げられると、次第に自分の筆跡であるように思えてきて、受領証二通とも自分の筆跡であり、特に京橋郵便局分の受領証中の「築地サッカー部代表」という字は自分が書いたものに間違いないと供述するに至った。

また、山田刑事は、京橋郵便局員内桶、同木村及び中央築地郵便局員藤川に出頭を求め、事情聴取中の原告について面通しをさせたところ、右局員はいずれも、原告は前記の払戻請求書(犯人)に似ているという程度のことしかいえないと供述した。

そこで、山田刑事らは、それまでに得た捜査資料と右の原告に対する取調べ及び右郵便局員らによる面通しの結果を総合して、原告が罪を犯したと疑うに足りる相当の理由が、より明確になったと判断して、昭和五一年五月二一日午後三時二五分、原告を窃盗、有印私文書偽造同行使詐欺被疑事件の被疑者として逮捕した。

8  なお、捜査官らは、逮捕前はもとより公訴提起に至るまで、原告が本件犯行当日である昭和五一年四月一二日に作成した販売原票については何ら調査していないし右当日原告が整理した販売原票副本を市場内の東京都の事務所に提出した時刻及び着衣の関係についても何ら捜査していない。

二  被告東京都の責任について

一に認定した事実を前提に、被告東京都の責任につき判断する。

国家賠償法第一条にいう「違法」とは、国又は地方公共団体の公権力の行使が法の許容する限界を超えてなされることを意味するところ、犯罪の捜査は、秘密を保持し、しかも迅速に行われることを必要とする関係上、捜査官が犯罪捜査のため裁判官に令状の発付を求めたり、発付された令状を執行するには、刑罰権の存否を終局的に確定することを目的とする公判手続の場合と異なり、合理的な疑いを入れない程高度の嫌疑は必要でなく、有罪判決を期待し得る相当の根拠があれば足りると解すべきである。換言すれば、捜査官において犯罪が存在すると考えたことについて、当時の捜査資料の下で常識上到底首肯し得ないほど合理性を欠く重大な過誤が認められる場合に限り、捜査官の捜査活動が違法になるものと解するのが相当である(東京高等裁判所昭和五四年九月二七日判決参照)。

これを本件についてみるに、前記認定の事実関係において、今野警部による逮捕状の請求又は捜査官らによるその執行につき重大な過誤があったとは認め難い。確かに原告が指摘するとおり、捜査官らが果実部二課の関係者については捜査をしていなかったこと、筆跡関係でも訴外会社における各種書類のすべてについて調査したわけではないこと、原告の犯行当日の行動についての捜査が必ずしも充分ではなく、特に販売原票に関する捜査がなされなかったこと等といった事実が認められ、その意味で本件についての捜査官らの捜査が完全無欠なものでなかったということはいえるが、警察側は本件以外にも多くの職務を有しており本件犯罪の被害額、態様等にも照らし、本件の捜査に割ける人員、時間にはある程度の限界があるのは当然であり、また捜査の密行性の要請からすると、右事実をもってしても未だ証拠の収集につき合理性を欠く重大な過誤があったものとは認め難い。また原告は、捜査官らは小島鑑定書を過大評価したものであると主張するが、筆跡鑑定の素人である捜査官らが専門家の鑑定結果を信用するのは当然であり、且つ捜査官らは右鑑定書のみに依拠したわけでなく、また捜査官らが鑑定資料となった出金精算票三通を選び出す過程において、予め原告を被疑者と見込んだ上で原告の筆跡を選び出したといった形跡も証拠上認めることができないから、証拠の評価につき過誤があったとは認め難い。

以上を要するに、本件の逮捕状の請求及びその執行は適法であったと認めるのが相当であるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告の被告東京都に対する請求は理由がない。

三  原告に対する勾留状の請求及びその執行に至る経過とこの点に関する被告国の責任について

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(一)  山田刑事が、原告逮捕の直後に、原告の弁解を録取したところ、原告は、本件各犯行を否認する一方で、受領証二通(《証拠省略》では「一通」となっているが、誤記であると認められる)の筆跡は、同人のものに間違いないと供述した。

更に、今野警部が、昭和五一年五月二二日、原告を取調べたところ、原告は本件通帳二通のうち築地青果サッカー部の通帳が曽根の机の中にあることは知っていたこと、本件通帳二通と印鑑一個を盗んだことについては「記憶がない」こと、受領証二通の筆跡は自分のものに間違いがなく、書いた記憶もあるがどこで書いたかは記憶がないこと等と供述した。

(二)  東京地方検察庁検察官上原保男は、昭和五一年五月二三日、勾留状の発付を請求するのに先立って原告の弁解を聴取すべく、送致にかかる被疑事実(本件各犯行)を読み聞かせたところ、原告は、本件各犯行を否認したものの、払戻用紙に訴外会社の誰かから頼まれて「築地サッカー部代表曽根秀房」と書いたことがあるが、依頼した人物が誰であったかは記憶にない旨の供述をした。そこで検察官上原保男は、前記一記載の各証拠及び右各取調べの結果を総合して、原告が罪を犯したことを疑うに足る相当な理由があり、且つ罪証隠滅のおそれがあると思料し、東京簡易裁判所裁判官に勾留状の発付を請求した。

(三)  同所裁判官志村實は、昭和五一年五月二四日、原告に対して勾留質問をしたが、この際、原告は、「人に頼まれて払戻用紙に記入したことは事実ですが、窃盗も詐欺もやっておりません。私に頼んだ人間の名前は判りません。」と供述した。そこで、右裁判官は勾留状を発付し検察官上原保男はこれを執行した。

2  ところで、検察官が犯罪捜査のため勾留状の発付を求めたり、発付された勾留状を執行するについても、前記二において説示したように、合理的な疑いを差し挾む余地がないほどの高度の嫌疑は必要ではなく、有罪判決を期待し得る相当の根拠があれば足り、それに基づいてなされた当該行為は適法であると解されるところ、前記一に認定した事実及び右1の(一)ないし(三)に認定した事実を総合すれば、原告に対する嫌疑は逮捕時に比して更に強くなったものと認められるから、本件の勾留状の請求及びその執行はいずれも適法であったと認めるのが相当である。従って、この点に関する原告の被告国に対する請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

四  勾留中の捜査について

1  勾留中の原告に対する取調べの状況について

《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ、これを覆すに足る証拠はない。

(一)  山田刑事が昭和五一年五月二五日原告を取調べたところ、原告は、受領証二通を書いたことは間違いないがどうして書いたものか判らないと供述した。また、このころ山田刑事を通じて、曽根から一五万円返してもらえれば示談して被害届を取下げてもよいとの申出があった。

(二)  高梨刑事が同年五月二七日原告を取調べたところ、原告は、受領証二通は同僚の訴外森忠文(以下「森」という。)に頼まれて書いたものと思うと供述した。

(三)  山田刑事が昭和五一年五月二八日原告を取調べたところ、原告には当時借金があり、その内訳はサラ金からの借金が九万円、会社の同僚広瀬からの五万円であり、更に会社の同僚の斉藤に対して自動車物損事故の損害賠償金を支払う必要に迫られていたこと、原告が築地青果サッカー部(明和会)に入ったのは訴外乙山春夫から誘われたからであること、原告は昭和五〇年から明和会の代表幹事をしていたこと、前記の明和会の出金精算票三通のうち昭和四九年二月二日付のものと同年二月一五日付のものは原告が書いたものであるが、それは当時の明和会の代表幹事であった訴外乙山春夫の指示により会計担当の曽根名義で作成したものであること、出金精算票のうち昭和四九年一月二八日付のものについては記憶がないこと、受領証二通に「曽根秀房」と書いた記憶があり、そのうち京橋郵便局分の受領証に「築地サッカー部代表」と書いた記憶ははっきりしていること、受領証二通を作成したのは右サッカー部員の誰かに頼まれて書いたものと思われること、頼んだのは乙山春夫であるかもしれないこと等と供述した。なおこの供述については調書が作成されたが、最後の点については調書に記載されなかった。

(四)  大野検事が昭和五一年五月二五日原告を取調べたところ、出金精算票三通のうち昭和四九年一月二八日付のものの「曽根秀房」以外の部分は自分の筆跡でないこと、他の二通は自分の書いたものであること、受領証二通の筆跡(但し、京橋郵便局分の受領証のうち「青果」という加筆部分は自分の字ではないこと)などを供述したが、供述調書は作成されなかった。

(五)  大野検事が昭和五一年五月三一日原告を取調べたところ、原告は、受領証二通の住所氏名欄の字は間違いなく自分の筆跡であり、また、京橋郵便局分の金額欄の「5」の字とよく似ており、そして京橋郵便局分の「築地サッカー部代表」の「代表」という字を書いた記憶ははっきりしていること、またこれまで人に頼まれて受領証を書いたといっていたが実はその記憶があるわけでないこと、四月一二日の行動については、午前五時三〇分ころ会社に到着し、午前七時三〇分ころから午前九時三〇分ころまで競り売りをし、午前一〇時ころから午前一一時三〇分過まで販売原票の整理をし、その後市場内の東京都の事務所にいって販売原票副本を提出して検印をもらい、午前一二時ころから産地への報告をしたこと等と供述した。

(六)  山田刑事が昭和五一年六月三日原告を取調べたところ、原告は受領証二通の字は自分の筆跡であり、とくに京橋郵便局分の「築地サッカー部代表」の記載は自分の字に間違いないこと、四月末から五月にかけて七回ほど山登りに行き支出が多かったこと、当時の借金の状況などについて供述した。

(七)  昭和五一年六月四日原告が所属する山岳会(朱蘭会)の吹田と扇が山田刑事の立会で原告に面会したが、原告は、両名に対し、受領証の字は自分の字に似ていて間違いないのだがどうして自分が書いたのか判らない等と話していた。このころ、原告は、築地警察署の同房者である伊澤から犯行を認めて早く出た方が利口じゃないかといわれたため、山田刑事に対し、本件犯行を認めればどういう処分になるのかと聞いた。これに対し、山田刑事は、経験からすると、自白すれば起訴猶予になると考えられるが起訴されたとしても保釈にはなるのではないかと答えたが、これは原告の自白を引き出す手段として山田刑事の方から積極的に言ったものではなく、現に原告が、その直後、自白するかのような態度を示したとき、山田刑事は、「父親の承諾があったら調書はとってやる。」等といって供述調書を作成しなかった。

そして、山田刑事は、同年六月六日、原告の父である甲野松太郎を原告に面会させたが、これに先立って、原告に対し、父親の前で本当のことを言えば調書にとってやるといっていた。しかし、原告は、父親に対し、受領証を書いたのは間違いないのだが記憶にないなどと話すに止まった。

(八)  大野検事が昭和五一年六月七日原告を取調べたところ、原告は、最初犯行を否定しつづけたが、同検事が共通の趣味である登山の話を一時間くらいし、「登山をやる人に心の悪い人はいないと思っているので全て正直に話してくれ。」といったところ、原告は、ついに全面的に自白をした。すなわち、同年四月八日午後四時ころ、自分の席から曽根が同人の席で本件通帳を持っているのを見て明和会の本件通帳のことを思い出したこと、同年四月九日午後四時ころ、事務所に残っていた原告は、周囲に人影が疎らで、特に果実部の席あたりには誰もいなかったので、本件通帳を窃取する気になったこと、窃取した本件通帳二通は引き出しの奥の方にあり、印鑑二本のうち一本は普通の三文判であり、もう一本は自動印であったこと、本件通帳二通と印鑑は更衣室で着替えたあと自分の机の左の上から二番目の引き出しに入れたこと、同年四月一二日午前七時三〇分ころから午前九時三〇分過まで競り売りなどしていたが、現場でホーレン草が見えなくなったのでこれを捜す振りをして表に出たこと、まず徒歩で一〇分くらいかけて京橋郵便局に行き、本件通帳二通うちサッカー部(明和会)のものにつき八万五〇〇〇円の払戻請求手続をしたこと、その際受領証を作成したが「築地サッカー部代表」の肩書を記入したのが郵便局員からの注意に基づいて書き加えたものかどうかについては記憶がないこと(このことから大野検事が、取調べにあたって、「築地サッカー部代表」の字は払戻請求者が京橋郵便局において局員からの指示により自ら書き加えたものであることを原告に説示し、追及したものと推認される。)、払戻請求の時は紺色の作業ジャンパーを着ていたこと、次いで一たん築地市場に戻り、再び中央築地郵便局に行き、本件通帳二通のうち果実部二課会のものにつき七万円の払戻請求手続をしたこと、中央築地郵便局においては、以前に斉藤勝美名義の預金について斉藤に代わって払戻を受けたことがあるのでうまくいくだろうと考えていたこと、事務所に戻ったのは午前一〇時三〇分ころであって、本件通帳二通についての払戻請求手続のために要した時間は約四〇分であること、本件通帳二通はちぎって国鉄新橋駅山手線ホームのくず箱に捨てたこと、詐取した金員は借金の返済に当てるつもりだったが、結局生活費やキャバレー、トルコ、パチンコなどの遊興費に使ってしまったこと、否認していたのに自白するに至ったのは面会に来た朱蘭会の吹田や扇に本当のことを言うように説得されたからであること等と供述した。

(九)  築地警察署の林係長が昭和五一年六月八日右の供述調書に基づいて原告を取調べたところ、原告は、窃取の状況について供述したところで体の具合が悪くなり、取調べを中断することとなった。ついで、山田刑事が、同年六月九日、前項の供述調書に基づき原告を取調べ、原告の席から曽根の席を見通せる筈はない、現場の状況を知らぬ者だったらお前の供述を信用するだろうが知っている者は信用できない等と言いながら同刑事が把握していた現場の状況と供述の矛盾点などを追及したところ、原告は自白を翻すに至った。

(一〇)  大野検事が昭和五一年六月一〇日原告を取調べたところ、原告は、本件犯行を否認し、六月七日の自白は虚偽であること、そのような自白をしたのは築地警察署の同房にいた伊澤からやってなくても認めてしまえば早く釈放されると助言されたからであること、受領証二通に書かれている住所氏名は間違いなく自分の筆跡であること、特に「築地サッカー部代表」の「代表」という字を書いた記憶ははっきりしていること、四月一二日午前一〇時前後に蔬菜販売現場から事務所に戻る際に京橋郵便局と中央築地郵便局に行くことは時間的に可能であったこと等と供述した。

2  原告の供述に対する裏付捜査などについて

《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができこれを覆すに足る証拠はない。

(一)  右1(二)認定のとおり、原告は、昭和五一年五月二七日、受領証二通は同僚の森忠文に頼まれて書いたと思う旨供述したので、高梨刑事が森を調べたが、森はその事実を否定した。

(二)  右1(三)認定のとおり、原告は、同年五月二八日、受領証二通は同僚の訴外乙山春夫に頼まれて書いたものかもしれないと供述したので、山田刑事は、同年五月二九日、右乙山春夫を取調べたが、同人は、そのような事実はないこと、但し、昭和四九年ころ明和会の代表幹事であった同人が会計担当者の「曽根秀房」名義の出金精算票を原告に作成させたことはある等と供述した。

ところで、右乙山春夫は、同年五月三一日、仕事に疲れたので家を出る旨の書置をして行方不明となったが、同人は当時約三〇万円の借金をしており、四月からは同人の兄である乙山一夫が給料を管理していた。

そこで、山田刑事は、右乙山春夫の顔写真を前記の郵便局員らに示したところ、犯人は右乙山春夫のように体格はよくないし、髪の形も違っており、右乙山春夫は払戻請求者(犯人)と似ていない旨の供述を得た。また、同刑事も、右乙山春夫の身長が約一メートル八〇センチメートルもあって、前記郵便局員らから聴取していた犯人の身長と大きく異なるため(郵便局員らの供述は、前記一3記載のとおりである。)、右乙山春夫は本件各犯行とは無関係であると考えて、それ以上の捜査はしなかった。

(三)  右1(八)認定の原告の自白に基づき、大野検事は、築地警察署の林係長に対し、原告の席から曽根の席への見通し状況、窃取時刻、騙取金の使途、窃取した通帳を投棄した国鉄新橋駅の状況などについて裏付捜査の指示をした。そのうち第一の点については、山田刑事において既に見通しが不可能であることを把握していた。また、原告が騙取金員の使途であると供述したキャバレー等につき、高梨刑事らが捜査したところ、原告のいう店は実在したが、原告が来店したかどうかについては確認できなかった。

(四)  また、原告の借金の状況については、高梨刑事が、昭和五一年六月三日、原告に金員を貸している廣瀬辰男及び原告の姉の甲野松子を取調べ、原告の供述の裏付を得た。

五  公訴提起の適法性について

1  原告の自白に対する証拠評価について

(一)  原告が検察官に対してなした自白(前記四1(八)認定のもの)のうち、次に述べる点は、客観的事実又は他の証拠に反し、あるいは不自然なものであった。

イ 原告は、「四月八日の午後四時近く原告の席から曽根が同人の席で本件通帳を手にしているのを見た」旨供述したが、《証拠省略》によれば、その間に直径一メートルくらいの柱と高さ一メートル五〇センチメートルくらいの衝立があったため、原告の席からは曽根の席を見通せない状態にあったと認められ、この点で右供述は客観的事実に反する。ただ、この点について大野検事が誘導尋問をしたと認むべき証拠はなく、《証拠省略》によれば、原告は当時自己の席から曽根の席を見通せないことを知っていた筈であると認められるから、右は原告の客観的事実に反するいいかげんな供述であると認められる。

ロ 原告は「競り売りの現場でほうれん草が見えなくなったのでこれを捜す振りをして郵便局へ行くため表に出た」旨供述したが、《証拠省略》によれば、四月一二日にはほうれん草は入荷していなかった可能性が大きく、少なくとも原告がほうれん草の販売を担当していなかったことが認められるから(これに反する証拠はない。)、右供述はこの点でも客観的事実に反する疑いがある。

ハ 原告は、「四月一二日午前九時三〇分過ころ、競り売りの現場を出て、まず京橋郵便局に赴き、ここで払戻を受けた後、中央築地郵便局に寄った。」旨の供述をしている。しかし、《証拠省略》によれば、中央築地郵便局において本件払戻がなされたのは午前九時一五分ころから午前一〇時三〇分前後ころまでの間であり(所要時間をさすものではない。)、京橋郵便局において本件払戻がなされたのは、午前一一時ころであると認められる。更に、前記一3(一)、(二)の認定事実及び《証拠省略》によれば、中央築地郵便局においては、本件通帳が「果実部二課会代表曽根秀房」名義であるのに払戻請求者(犯人)が受領証用紙の氏名欄には「曽根秀房」としか記載しなかったのに郵便局員らはこれを看過し、そのままの受領証により払戻がなされたこと、これに対し、京橋郵便局においては、払戻請求者(犯人)が、本件通帳が「築地青果サッカー部代表曽根秀房」名義であるのに受領証用紙の氏名欄には「曽根秀房」としか記載していなかったので同局員内桶が肩書を記載するように指示した事実が認められるのであるから、払戻請求者(犯人)は、団体の代表名義の貯金通帳については受領証の氏名欄に肩書の記載が必要であるとの知識を有しておらず、京橋郵便局において内桶の指示によってはじめてこれを知ったものと推認することができ、この点からも払戻がなされた時刻は、中央築地郵便局が先で京橋郵便局が後であると推認される。

ニ 原告は、「会社のマーク(のマーク)と自己の名前が胸の部分に入っている紺色の作業ジャンパーを着てこれらの郵便局に行った」旨供述しているが、京橋郵便局の局員らは、払戻請求者(犯人)がトレーニングシャツ様のものを着用していた(もっとも、内桶は色につき紺色であったといい、木村は肩と胴の色違いのものであるという。)と供述しており、くい違いが存する。ところで、犯罪を実行しようとする者が身元がわかる服装をして行くというのは不自然であるからこの点については郵便局員らの供述の方が信用性があると考えられるので、原告の右供述は客観的事実に反する疑いがある。

ホ なお、原告が請求の原因4(一)ハにおいて指摘する点は、前記五1(一)認定のように蔬菜部との間に約一メートル五〇センチメートルもの高さの衝立があったことからすると、その点に関する原告が自白をもってあながち不合理な供述とはいえないし、請求の原因4(一)ニにおいて指摘する点についてもさほど不自然とも考えられないし、前記四2(三)のとおり捜査官らによる裏付捜査によれば店は実在したのである。

(二)  前記四2(三)認定のとおり、大野検事は、築地警察署の林係長に対していくつかの点について裏付捜査の指示をしたが、前項ハの点についてはその当時、裏付捜査を指示したものと認むべき証拠はない(公訴提起後にはなされている。)。

(三)  また前記四1(七)認定のとおり、原告が同房者の伊澤や山田刑事から、自白すれば起訴猶予になるだろうし、仮に起訴されても保釈になるだろうと言われたのであるが、山田刑事のような地位にある者が原告に対し右のごとき説明をすれば、原告としては自白をすれば早期に釈放するとの約束がその権限ある者によってなされたと考えても当然というべき状況が作出されたものということができ、右の事実は、原告の自白の信用性に大きな疑問を生ぜしめるものといわざるを得ない。しかし前記四1(一〇)認定のとおり、原告が自白を撤回した後の六月一〇日、原告は、大野検事の取調べに対し、虚偽の自白をした理由につき同房者の伊澤のことについては述べているが、山田刑事との右やりとりについては何も述べておらず、また、山田刑事がかかる事実を大野検事に報告したことを認むべき証拠はないから、大野検事は右のごとき経緯を知り得べくもなかったものと認められる。

(四)  他方、前記四1、(七)(八)の認定によれば、原告の自白は、山田刑事とのやりとりがあった日から数日を経た後になされたものであること、しかも、当日(六月七日)の取調べがはじまった直後、原告は本件各犯行を否認していたが、大野検事が一時間くらい山登りの話をし、「登山をやる人に心の悪い人はいないと思っているので全て正直に話してくれ。」といったところ、原告が全面的に自白をはじめたものであること、それまで否認していたのに自白するに至った理由につき首肯し得うべき供述をしていること、中央築地郵便局において以前に斉藤勝美名義の預金通帳の払戻をしたことがあったが何ら怪しまれなかったという検察官が知りえなかった経験についての供述があること(右経験が真実であることは原告本人尋問の結果により認められる。)、その場で自白を決意したにしてはその直後の供述が詳細であることなど原告の自白の信用性を認むべき事情もあった。

(五)  右によれば、大野検事は、原告の自白につき必ずしも充分な裏付捜査をしなかったものと認められるが、(一)イの点については、山田刑事がこの点の矛盾を追及したことからまもなく知ることになったし、同ロの点については現場を抜け出す口実であれば現にほうれん草が入荷していなくてもよいわけだから、(一)ロの点があるにしても供述内容が全て虚偽であるとは直ちに断定しきれない面もあり、右の各点についての裏付捜査の不備は、原告の自白の証拠評価にはさほど影響を与えるものではないと考えられる。また(一)ニの点は裏付捜査をしたとしても、大野検事が当時把握していた以上の証拠が得られたものと認めるに足る証拠はなく、また目撃していた郵便局員らの供述間にもくい違いがある以上(また、色については原告の供述と内桶の供述は一致する。)、ニの点をもって直ちに原告の自白の信用性を失なわしめる事実と考えることはできない。そして、ハの点については、それまでに大野検事が把握していた証拠(郵便局員らの供述)と矛盾するものであり、もし公訴提起前に両郵便局における本件払戻をした者の払戻手続の経緯、時間等につきより慎重な裏付捜査がなされていたなら、原告の右供述部分が客観的事実に反するものであることを知り得たものと考えられる。

しかし、前項(四)に認定した事実、とくに登山の話という人間的な触れ合いから原告の自白がひき出されたこと、大野検事は原告と山田刑事とのその直前のやりとりを知ることができなかったこと等を総合考慮すると、大野検事が、自分が直接見聞した原告の様子・供述態度を中心として証拠評価をし、原告の自白が充分に信用できると考えたとしても、それは経験則を著しく逸脱するものということはできない。

2  受領証二通の筆跡が原告のものであるかどうかについて

(一)  前記一3(三)認定のとおり、受領証二通の筆跡が原告が作成したとされる出金精算票三通(そのうち、昭和四九年一月二八日付のものについては、原告は同人が作成したものではないと供述する。)の筆跡と同一のものであると「推定」する小島鑑定書が存在したが、《証拠省略》によれば、右鑑定書の内容は、両者の間の類似点として配字形態は調和性のない曲線的傾向であること、筆圧は中程度であること、筆勢は速筆であること、書字能力は低いこと、字画形態構成が類似しており、特に「曽」の「日」部、「根」の「木」部、「房」の「方」部は類似していることなどをあげ、他方で顕著な異質の特徴はないことを根拠として、前記結論に達しているが、右鑑定結果に至る経過については抽象的な記述になっていることを認めることができ、これに反する証拠はない。

そして、《証拠省略》によれば、刑事公判においても筆跡の鑑定がなされ、訴外長野勝弘が鑑定に当ったこと、その鑑定結果においても受領証二通と前記出金精算票三通の筆跡は同一のものと認めるのが妥当であると判定されたこと、他方、刑事判決は、問題となっている各筆跡を運筆、形態を中心に詳細に検討し、受領証の筆跡が原告のものであると断定するには、なお合理的な疑いがあるとしたこと等の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

原告は、大野検事には、小島鑑定書の証拠価値を過大評価した過失があり、また公訴提起は違法であると主張するが、筆跡の専門家である前記小島及び前記長野が一致して受領証二通と出金精算票三通の筆跡が同一である可能性が高いものと判断していることからすれば、筆跡鑑定については素人である大野検事が小島鑑定書を全面的に信頼したとしても、それはむしろ当然のことであり、また前記四、五、1の事実を総合すれば同検事は、右鑑定書のみで本件犯罪の成立につき合理的な疑いを差し挟む余地がない程の立証ができると考えていたわけではなく、原告の供述等、その他の証拠と総合して判断したものと言うべきであるから、同検事において小島鑑定書を過大評価したものとは認められない。

(二)  前記一ないし五、1認定のとおり、原告は、取調べに当った警察官及び検察官のみならず勾留質問にあたった裁判官に対しても、また逮捕直前の取調べのときから公訴提起に至るまでの間、従って自白を撤回した後も終始一貫して受領証二通の筆跡は自分のものであること、とくに京橋郵便局分の受領証中の「築地サッカー部代表」の「代表」という字は自分が書いたものに間違いないと供述していた。そして、《証拠省略》によれば、原告は、刑事事件の弁護人と面会した際にも、受領証二通は自分が書いたものであると供述していたことが認められるのであって、また《証拠省略》からも原告自身が受領証二通の筆跡が自己のものであると信じ込んでいたものと認められ、さらに前記一3(二)認定のとおりの曽根の供述があったこと等を総合すると、大野検事において、受領証二通の筆跡に関する原告の前記供述の信用性は高いものと評価したことは当然のことであると考えられる。

3  原告の四月一二日における行動の捜査が不充分であったかどうかについて

(一)  《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足る証拠はない。

イ 原告の当時の通常の勤務時間中の行動は、だいたい午前五時三〇分ころ訴外会社事務所に出勤し、作業服(紺色ジャンパーでのマークと氏名が入っている。)に着替え、その日の入荷量を調べ、午前六時一五分ころ、事務所から五分くらい歩いて疏菜販売現場に行き、午前七時三〇分ころまで固定競り(買受人らにサンプルを示して競り売りすることを指す。)のサンプル選びや販売原票への記入作業などを行い、午前七時三〇分ころから固定競りを開始し、午前八時ころまで固定競りと販売した品物についての分荷作業を行い、そのあと午前八時一〇分くらいから午前九時三〇分くらいまでの時間帯に(所要時間は日によって異なるが、二〇分から三〇分くらいが所要時間である。)移動競り(買受人らが置いてある現物を見て歩き、そこで競り売りをすることを指す。)と販売した品物についての分荷作業を行い、その移動競りの途中又は後に相対競り(産地から指定された価格で販売することを指す。)を行い、全体の競り売りを午前一〇時をめどに終え、その後、事務所に戻って販売原票の整理をし、その副本を午前一一時頃に市場内の東京都の事務所(徒歩で五分もかからない位置にある。)に提出できるようにするというものであった。

ロ 右各作業のうち、競り売り作業のときには競り人はいなくてはならないが、分荷作業のときは競り人は必ずしも現場にいないこともあり、逆に他の競り人の分荷作業を手伝うこともある。また競り人が蔬菜販売現場から事務所に戻るときは各自ばらばらであり、競り売り後事務所に戻る前に市場内の食堂において食事をする競り人も多く、事務所に戻る前に三〇分程度の時間をとることも可能である。

ハ 昭和五一年四月一二日には、原告が作成した販売原票は五一枚あるが、そのうち移動競り分は一九枚であり、相対競りは二枚であり、固定競りが多かった(従って、午前九時くらいまでの固定競りの時間帯がとくに多忙であったものと推認される。)。また、当日の固定競りのときは最初一〇分間くらいは競り人伊藤の助手をしており、それ以降は自分で競り売りをしていた。さらに五一枚の販売原票を整理するには、一時間くらいの時間をかけてやるのが通常であり、原告が四月一二日に市場内の東京都の事務所に販売原票の副本を提出したのは正午ころであった(本来、これは訴外有馬又は訴外志村が担当処理すべきであったが、両名は当日出張していた。)。

ニ しかし、四月一二日における各競り売りの終了時刻等についてははっきりしない(《証拠省略》によれば、移動競りが終了したのが午前九時一〇分くらいであり、全体の競り売りが終了したのは午前一〇時一〇分ないし一五分くらいであるということになるが、《証拠省略》によると全体の競り売りの終了は午前一一時前後ということになり、《証拠省略》によると、移動競りは当日午前九時三〇分ころ開始され、午前九時五〇分ないし一〇時に終了し、全体の競り売りも午前一〇時ないし午前一〇時三〇分には終了していたことになる。)。また、原告の当日の行動について具体的に見聞ないし記憶している人物はいなかった。

ホ 右イないしニの事実については、前記四に認定したように裏付捜査が充分にはなされていなかった。

(二)  原告は、大野検事が原告の当日の行動について充分に捜査すれば、原告が中央築地郵便局や京橋郵便局に行く時間的余裕がないことは容易に判明し得た筈であると主張する。確かに、同検事がこの点につき必ずしも充分に捜査しなかったことは認められる。しかし、前記五1(一)ハ認定のとおり、市場内にある中央築地郵便局において払戻がなされた時刻は午前九時一五分ころから午前一〇時三〇分ころまでの間のほんの短時間の間であると認められるところ、《証拠省略》によれば、蔬菜販売現場から右郵便局までは、徒歩で片道五分程度で到着することができるものと認められ(これに反する証拠はない。)、払戻請求手続に要する時間を含めて一五分間程度の時間的余裕があれば十分であると言うべく(中央築地郵便局からそのまま京橋郵便局へ行ったとすることは、両郵便局間が徒歩で一〇分から一五分しかかからないこと、両郵便局の払戻時刻に三〇分から一時間四五分もの間隔があることなどの前記五1(一)ハ認定の事実に照らして不合理であり、払戻請求者は、中央築地郵便局において本件払戻をなした後、しばらく間をおいて京橋郵便局に行ったものと推認される。)、前記(一)認定の原告の勤務状況からすると、例えば分荷作業のときとか固定競りと移動競りの間に、一五分間程度蔬菜販売現場を離れることは時間的には可能であったと認められる。更に、前記五1(一)ハ認定のとおり京橋郵便局において払戻請求手続がなされた時刻は午前一一時前後ころであると認められるところ、《証拠省略》によれば、蔬菜販売現場から右郵便局までは徒歩で片道一〇分程度で到着することができるものと認められ(《証拠判断省略》)、また何らかの交通手段を利用すれば、更に所要時間は短縮できると考えられ、払戻手続に要する時間を含めてせいぜい三〇分程度の時間的余裕があれば十分と言うべく、前記(一)認定の原告の勤務状況(とくに(一)ロ)からすると、蔬菜販売現場から事務所に戻るまでの間に三〇分程度の時間をとって京橋郵便局に行くことは時間的に可能であったものと認められる。

従って、大野検事が原告の当日の行動についての裏付捜査を充分にしていなかったことには問題はあるものの、仮に充分に捜査したとしても、右(一)に認定した程度の事実しか把握することしかできなかったものと認められ、原告が本件各犯行を実行していなかったのではないかという合理的疑いを直接的に生ぜしめる事実を発見することはできなかったものと認められる。

4  その他の事情

前記のとおり、原告は、遅くとも昭和五一年六月七日の大野検事による取調べのときまでには京橋郵便局分の受領証の「築地青果サッカー部代表」の文字が払戻請求者(犯人)によって、払戻請求時に内桶の指示で書かれたものであることを知らされていたものと認められるが、それにも拘らず、自白撤回後も「築地サッカー部代表」の文字は自分の筆跡であり、書いた記憶もあると供述していたのであるが、《証拠省略》の本件刑事判決によれば、右供述は原告のいわば意固地な性格、傾向に基づくものと判断している。

5  ところで、検察官による公訴提起が違法であるというためには、公訴事実について証拠上合理的な疑いをさしはさむ余地が顕著に存在することが必要であり、換言すれば、検察官の証拠の収集に粗漏があって、容易に収集し得た証拠を考慮すれば公訴事実につき証拠上合理的な疑いをさしはさむ余地が顕著に存在するか、又は証拠の評価について検察官が通常の考えられる心証の態様、強弱の程度についての個人差を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができないという程度に達していて有罪判決を期待できる合理的な根拠がないことが必要であると解される(東京高等裁判所昭和五四年一月二九日判決参照)。

本件につきこれを検討するに、前記一ないし四及び右五1ないし4に認定・説示したところを総合すれば、大野検事については右五1、3に述べたように証拠の収集に多少の粗漏があったが、3の点については、そこで説示したように収集し得た証拠を前提としたとしても、直ちに公訴事実につき証拠上合理的な疑いを差し挟む余地が生じたものとは言えず、1の点は原告の自白の証拠評価との関連で問題となるが、原告の自白の信用性の評価についても、前記五1説示のとおり、同検事に到底合理性を肯定し得ない程の誤りがあったものとは言えず、また小島鑑定書の証拠評価に誤りがあったとも言えない、更に原告が本件各犯行を否認しながら、受領証二通の筆跡が自己のものであると供述し、特に京橋郵便局分について前項4に記載したような不可解な供述をして嫌疑を増幅させたことを考慮するなら、大野検事が原告に犯罪の嫌疑が充分にあり有罪判決を期待し得る合理的根拠があると判断したことをもって経験則を著しく逸脱したものと言うことはできず、公訴提起は適法であったものと認められる。

そうだとすると、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告国に対する公訴提起の違法を理由とする請求は失当である。

六  以上によれば、原告の本訴請求はいずれも理由がないのでいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 根本久 裁判官 齊木敏文 裁判官西尾進は転官につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 根本久)

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